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橋本努の音楽エッセイ 第19回「冷戦時代を駆けぬけた恋多き天才ヴァイオリニスト」

雑誌Actio  20111月号、24

 


 

 ソ連ラトヴィア生まれの天才ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルの演奏には、魔性と神とが宿っている。この批評でもすでに一度紹介したのであるが、彼の自伝『クレーメル青春譜』(臼井伸二訳、アルファベータ、2007年)を読むと、その知性にさらに驚かされてしまう。

 例えば、1984年のアルバムで、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)との共演『ベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ』(Gidon Kremer / Martha Argerich, Beethoven Violinsonaten Nos.1-3, Deutsche Grammophon)がある。作品の持ち味を自由に操った、名演中の名演である。クレーメルは同書のなかで、アルゲリッチを含めた共演者たちとの関係について、こう記している。

 「レナード・バーンスタインやマルタ・アルゲリッチのような大家のことを思うと、……彼らの姿全体、物腰、情動性が、魅力的だった。ディオニソスらしさ、臆するところのなさ、感情の赴くままにできる能力には、いつも魅了された。マルタのように「腹から演奏」することや、バーンスタインの忘我状態のステージがそれである。私の場合は、自分が音楽を演奏することでのみ表現できる内的な悩みを、いわば感情的に許容し、自制し、思索する傾向が多分にある。だが実生活では別だ――私は、自分を抑えるのに苦労することが多く、気のおけない人たちに惹き付けられるからだ。」

 内的な悩みを表現するというクレーメル本人は、実生活では「気のおけない」女性共演者たちに、いつも囲まれていたようだ。1960年代から80年代までを綴った自伝は、ソ連から西側に移るまでの逃走劇を、女性たちとの関係とともに綴っていて興味深い。

 ナターシャという最初の女性にはフラれてしまったが、ヴァイオリン奏者として実力をつけてきたタチアナとは結婚、だが自身のアヴァンチュールのために離婚してしまう。むろん、タチアナとはその後も共演を続け、例えばシュニトケは、この二人のために作品を書いたりもしている。二人はまた、ルカーチやソルジェニーツィンなどの反体制思想を貪欲に吸収していた。それでクレーメルは、共産党の中央委員会に監視されている。

 「あなたは最近、ハンガリーを訪問されましたね?」「その地で何人かの人たちに会って、反ソ連的な会話を交わしました。」「しかも、ソルジェニーツィンの本を渡され、もちろん持ち帰りましたね。」

 こんな忠告を党から受けたクレーメルは、周囲の人々すべてに懐疑を抱いてしまう。なんとしてでも脱出したい。クレーメルは考えた。愛人のクセーニャを妊娠させて、西側で子供を生ませるのはどうか。ところが子供が生まれる頃になって、今度は別の女性マグダレーナに心酔してしまう。安定した家庭生活を願うクセーニャに耐えられなかった、というわけなのだ。逃走劇の最後は結局、エレナという別の女性とパリで生活を始めることになるのだが、そのエレナとも離婚。こんな波乱万丈の経験が赤裸々に語られている。

 それにしても、クレーメルはこの自伝の初稿を、六週間弱で書き上げたという。まだまだ活躍を期待できそうだ。